

個別指導塾講師個人の指導実績は「講師が過去にどのような学校の志望者を指導したか」ということで、受験生の親にはとくに気になる点だと思います。志望校を決めたり合否判定を予測したりするときは摸擬テストの結果数値を参考にしますが、講師の勘はこれよりはるかに精度の高い判断材料になります。ここで講師の勘とは「この設問が解ければA中学は大丈夫」「このミスが続くようだとB中学は危ない」といった印象で、子供と接する経験をとおして講師のなかに形成されるイメージです。これは数値で表現することも、得点や偏差値から読みとることもできません。したがって生徒指導にたずさわらない事務職員にはこの勘がありません。「授業を担当していなければ教室長でも経営者でも事務職員」と前述したのはこの事情からで、事務職員にはテスト結果数値の分析はできても勘に基づく合否判定はできないのです。
大学受験勉強を通じて身につけた能力を、社会に出てから活かすために以外に必要なことは、どんな能力がつくのかを意識することだと考えている。たとえば数学の勉強一つとっても、受験を勝ち抜くためとか、純粋に数学力をつけるためだけに勉強するのだと思っていれば、その勉強した結果を汎用化するのは、それはどうやってもうまくいかないかもしれない(もちろん、知らず知らずのうちに論理的能力や推論能力がつくことも少なくないから数学を勉強する価値があるのだろうが)。しかし、たとえば証明問題をやることで論理的思考力を身につけているのだとか、既知の解法パターンをあてはめて未知の問題を解くことが認知心理学でいうところの推論のトレーニングになっているのだということを意識すれば、社会に出た後、新たな課題(たとえば今の業務のコストパフォーマンスを上げよというような)を与えられたとき、それにまつわる知識をあれこれ勉強して、その知識を加工したり、工夫したりして解答を出せばいいのだという発想が出てきやすいだろう。
英語の上達の鍵は、英語にどれだけ接しているか、つまり英語への「exposure」(接触)の量にある、ということです。実は英語ができるようになるというのはごく単純なことで、その言葉を使って話したり、聞いたり、読んだり、書いたり、コミュニケーションをはかる活動が、一定量おこなわれれば上達するものなのです。日本人は中学から大学まで10年間も英語を勉強しているのに、日常会話も英語でこなせない、といった非難をよく耳にしますが、10年間ずっと英語だけをやってきたわけではありません。あまり英語好きでない人の例で考えてみると、中学校の授業で週3時間×35週×3年間=約300時間、高校の授業で週5時間×35週×3年間=約500時間、大学の教養課程で週3時問×35週×2年間=約200時間、これらを合計しても1000時間にしかなりません。自宅で宿題などの学習をしたことを加味してもせいぜい1500時間でしょう。しかも、中学や高校の授業を振り返ってみると、英語を使ってコミュニケーションしたというよりは、先生の日本語の説明を聞いていたほうが多かったという人がほとんどではないでしょうか。
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